■紫陽花
紫陽花は咲く場所によって花の色を、青や紫、ピンクへと鮮やかに変える。
その特性から花言葉は、「移ろ気・浮気心」と言われる。
「たかだか花の色を変えるくらいで浮気心とか言われたら、たまらんよな」
小雨降る庭先に咲く紫陽花を眺めながら、瑞垣は呟いた。
瑞垣は元々、花言葉などをいちいち気にするようなタマではない。
だからと言って、花言葉を否定したりもしない。否定もしなければ、肯定もしない。
瑞垣にとって、花言葉などどうでも構わないものだった。
それでも、紫陽花の花言葉を知った時、なんとなく思ったのだ。
花が色を変えるくらいで「浮気心」に例えるなんてくだらない、と。
だいたい、この世に変わらないものなんてないではないか。
どんなものでも月日とともに傷み、傷つき、いつかは朽ち果てる。
すべては変化に満ちたもの。
変化とは、そこから新しい道が始まること。
そしてそれは、救いでもある。
今までの鬱屈しきった色を脱ぎ捨て、また違う色になれるのだ。
いつまでも未練があるかのように一つの色に止まろうとする他の花に比べて、紫陽花はどこまでも潔い。
瑞垣はそう思った。
「最高の花やないか」
「何かおもしろいもんでもあるんか?」
庭先をじっと見つめながら独り言を言う瑞垣に、海音寺が不思議そうに問う。
「・・・いや、次に生まれ変わるんやったら、紫陽花がええなと思ってな」
口元に薄く笑みを浮かべそう答える瑞垣を、庭先の紫陽花と見比べ、海音寺は言った。
「そらええ。こっそり毒を持ってるところが瑞垣そっくりだ」
「こいつをいつか毒殺してやりたい」
瑞垣は心の底から思った。
■笑み
瑞垣はよく薄く笑みを浮かべる。
薄い唇を優しそうに微笑ましているが、どこか自嘲しているようにも感じられる笑みだ。
以前、門脇が海音寺にぽつりとこぼしたことがあった。
「俊の笑い方が、どうしても好きになれん」
いつの頃からか瑞垣が浮かべるようになった薄い笑み。それは、自分のよく知る幼馴染みではないような錯覚を起こさせるのだと、門脇は言った。
たしかに、14・5の頃の少年が浮かべる類いの笑みではないのかもしれない。
瑞垣の浮かべる笑みは、酸いも甘いも噛み締めた大人特有のものとも言えた。
きっと瑞垣は、野球に、いや自分の才能に自ら見切りをつけた時に、この笑みを身につけたのだろう。
大したことじゃない。
たかが野球じゃないか。
そう自分に言い聞かせながら覚えた笑み。
その瑞垣の心境は、海音寺にも痛いほどわかった。
そして、その痛みを瑞垣に与えたのは、この笑みを好きになれないと言った門脇本人だ。
瑞垣に問うまでもなく、それは火を見るより明らかなことだった。
これからも門脇は、瑞垣の笑みを見るたび、知らない他人を見ているような錯覚に陥ることだろう。
しかし、それが錯覚ではなく真実だと気づく日がいつか来る。
何故なら門脇の目の前に立つのはもう「幼馴染みの俊ちゃん」ではないのだから。
「瑞垣と無二の関係でありたい。」
そう望む門脇には悪いが、その場所は遠からず自分が奪うことになる。そう海音寺は踏んでいた。
門脇がバッターとして原田の優れたピッチングに惹かれたように、瑞垣は自分に惹かれる。自惚れではなくそう思った。
瑞垣も自分も、自分の体だけではない、チーム全体を己の手足のように駆使して戦う野球の楽しみを知ってしまった。
そう、あの春の日の再試合のような野球だ。
それを知ったからには、瑞垣は決して野球から離れられない。
いつかまた、あの時と同じような、思わず身震いしてしまうような野球を欲するようになる。
そしてその相手が出来るのは自分しかいない。
それが海音寺には堪らなく嬉しかった。
今日もまた、瑞垣は海音寺の目の前で、薄い笑みを浮かべる。
他人を騙しながら、何より自分を騙している瑞垣。
こいつ捻くれているな、と思いつつも、海音寺は瑞垣の傍を離れない。
何てことはない。
海音寺は瑞垣のこの笑みが好きなだけだ。
捻くれたままの瑞垣俊二に惚れているだけなのだ。
20091013
何年か前に書いたデータがケータイに残ってました。
20100606
更にぐっすり寝かせて半年以上。
UPするかしないかずっと悩んでいたんですが、6月が「ショート月間(野球の”ショート”のこと)」ということらしいのでUPしてみました。
(瑞垣も海音寺もポジションがショートなのです)